今では当たり前の農業での畜産業ですが、この畜産業の歴史については意外と知っている人は少ないのではないでしょうか。
現在は畜産農業と言えば家畜を飼育して生乳や肉、鶏卵など、加工してバターやチーズなどの生産を行うことが畜産業という認識があると思います。
しかし、何も最初から家畜を育てて食べる文化が日本にあったのでしょうか。
特に近年では米の消費よりも肉の消費がどんどん増加して消費量が逆転してるとう現象も起きています。
日本食といえば『和食』肉よりもお米や魚などが主食のはずでしたがいつからか肉がメインとなってきています。
これにも色々な要素があります。
今回のこの記事では畜産の歴史を振り返りながら食の変化について紹介していきたいと思います。
私たちの生活に浸透しているため食についてあまり深く考える機会もないと思いますのでぜひこの機会にどんな歴史があるのか。
食の変化が起きたきっかけはなんなのかについて少しでも知っていただければと思います。
食は私たちに特に密接なものなのでちょっとした豆知識をして知っているだけでも食べている物の見方が変わっておもしろいかもしれません。
ぜひ最後まで一読してみてください。
食べるというよりも労働力
現在は家畜は食するものとして捉えている人が多いと思いますが、何も最初からそうだったわけではありません。
現代は機械があるため重量物などを人が運搬したりすることはまずありません。
しかし、昔はどうだったでしょうか。
昔から車などがあったわけではありません。
車などの運搬の代わりに動物(牛や馬)が物資の運搬を行っていました。
人よりも力があるためこのように家畜として食の対象としてではなく労働力として扱われていた時代があります。
福島県で有名な赤べこですが、なぜ赤べこと言われているのか知っている人はどれくらいいるでしょうか。
有名な諸説としては、福満虚空蔵尊堂(ふくまんこくぞうそんどう)を建設していたさいに資材運びが難航していました。
その時にどこからともなく赤い牛の群れが現れて、多くの牛や人が過酷な労働に倒れていくなか、完成まで懸命に働いたのが赤い牛だったと言われています。
それから、会津では赤べこは縁起の良いもの、幸運を運ぶもの、厄除けとして考えられ、「健康や長寿の象徴」としても親しまれるようになったとされています。
引用元:https://aizu-japan.com/post-3219/
しかし、もう一説の話として物資の運搬などを牛にさせていた中で牛が血で赤く染まるまで働かせ首をふり回していたことから赤い牛。
べこは東北地方の方言で牛という意味で赤べこと言われています。
色々な諸説がありますがこのように諸説の中に労働して働かせていたということが歴史のなかにはたくさん出てきます。
馬に関してもそうです。
現在は馬刺しなどで食べたりもしますが、昔は移動の手段として飼育され何も食用としてはされていません。
飼育して食べる文化
飼育して食べる文化としては『日本書紀』に記述があった内容から西暦200年から600年ごろに渡米してきた渡来人によって広められたとされています。
一度広まった文化ですがこの後に一度衰退して一時的に食することがなくなる時期があったとされています。
それは仏教の伝来によって徐々に殺生禁断の思想が日本国内に広まっていったためです。この殺生禁断の思想から食肉の習慣が無くなり、一度広まった飼育の文化も衰退していきました。
肉食禁止令
仏教の伝来から殺生が禁止された中で『肉食禁止令』が実は出されたことがあります。
675年に天武天皇が発令したものですが、全ての肉類が禁止になった訳ではありません。牛、馬、犬、猿、鶏に限定された禁止令です。
しかし、ほとんどの肉が禁止されたことに変わりはありません。
この禁止令は殺生戒めの思想からきています。
しかしこの他にも諸説として、家畜を主に食していた渡来系の官吏や貴族を牽制するためや、動物をそもそも「けがれ」として見なすためという説があります。
食するという以前に、牛を解体することが有用な物を解体することなので厳重処罰の対象とされたために、国民の間に肉食は「けがれ」であるという固定概念を植え付けるきっかけにもなったとされています。
参考元:https://www.suzusho.co.jp/tengu-s/archives/799
西洋文化の流れ
それでは次にいつから肉食禁止令が解除されて再び食されるようになったのでしょうか。
一つとして鎖国が終わって西洋の文化が一気に日本に入ってくるようになったことがきっかけになります。
西洋の文化でば米などよりも肉がメインとなる物が多く日本国内でも西洋文化の影響を強く受けるようになりました。
結果として畜産の飼育から生産、そして食するまでが「肉食禁止令」のイメージが減退して一般的に食されるようになりました。
『高度経済成長』
日本での肉の消費が一気に増加したのは高度経済成長期から安定期にかけて年々増加する傾向になっています。
これは高度経済成長によって1人当たりの所得が増えたこと、何よりも食の多様化が大きく変化して海外の文化を多く取り入れたことがきっかけになります。
この高度経済成長期から日本の食文化が変化し米の消費量が減少、肉の消費量は昭和35年度から令和元年までで約10倍の消費量まで増加しました。
鶏肉が食されるようになった時期
鶏肉が広く食べられるようになったのは江戸時代からとされています。
それまでは鶏は卵を産むために飼育されており、卵を産まなくなった鶏を食べる程度の飼育しかされていませんでした。
江戸時代からは食用として鶏も飼育が始まり本格化したとされています。
また、意外と知られてはいませんが戦後までは鶏は高級品として扱われていました。
今では安価に手に入るようになり、ダイエットなど低カロリーで高タンパクとして人気があります。
これは、ブロイラーの導入によって戦後から食用の鶏肉を生産し飼育することが可能になったためです。
国内での消費量も肉の中では鶏肉が現在は一番多く占めている状況になります。
豚肉が食されるようになった時期
豚肉が本格的に食用として食べるようになったのは19世紀ごろとされています。
飼育時代は遺跡などの文献から旧石器時代から行なわれていたとされていますが、一般的に食用として豚肉が食べられるようになったのは明治時代からです。
なぜ昔から飼育されていたのに明治時代までそこまで食されていなかったのかですが、これは675年に発令された「肉食禁止令」で肉を食べる習慣が一気に薄れたためとされています。
その後、薩摩などの地域から食する習慣が少しずつ戻ってきた結果全国に広まったのです。
牛肉が食されるようになった時期
日本で牛肉を食べるようになったとされているのは弥生時代からです。
この時朝鮮半島から渡来人が日本に来たことで牛肉を食べることを伝えたとされています。
牛肉も他の肉と同様に「肉食禁止令」があったため、国内で一気に広まることはなく一般的に食されるようになったのは文明開花後になります。
文明開花後に広まった食べ方として牛鍋が人々の中で広がり、牛肉が美味しいと全国に広まっていきました。
現在広まっているステーキは第二次世界大戦後に占領下の沖縄から広まり、そこから本土へと伝わりステーキの文化が広まりました。
牛は元々労働力として飼育されていました。
そこから渡来人などの影響で海外の文化が入ってきたため牛を食するように変化した経緯があります。
食肉文化
日本で食肉の文化が広まったのは渡来人による影響があったためです。
それまでは日本では鶏の飼育では基本的には卵がメインでの飼育がされており、牛についても労働力としてみなされていました。
そこから渡来人つまり海外の文化が入ってきたことで牛や鶏、豚なども食することが可能ということから食肉として飼育が始まり徐々に広まっていきました。
日本での食肉としての文化が遅くなった理由としては「肉食禁止令」が主な原因とされています。
殺生の考え方や動物時代がけがれとした認識が刷り込まれたことによって解除後もそこまで一気に広がることはなく、徐々に広がっていった形になります。
一般的に食されるようになった牛は最初は牛鍋として薄くスライスしてタレに漬け込んだ物がまずは広がりました。
その後に現在よく食されているステーキなどが広まっていきました。
現在は食肉としてがメインで飼育され畜産農業でも産出額がかなり多くを占めています。
消費量も年々増加してきているため今後も肉の消費量は増えていくことが予想されます。
まとめ
現在の畜産と昔の畜産ではそもそもの家畜の用途が違いました。
現在は食肉として、昔は労働力としてです。
食としてもせいぜい卵などを取るためで食肉としては元々は飼育されているわけではありません。
食肉として飼育されるようになったのは渡来人つまり海外からの文化が日本にも入ってきたことから食肉として牛や豚、鶏などがこれまでの目的と違った形で飼育されるようになったのです。
しかし、いきなり畜産として食肉が普及したわけではなく日本内で「肉食禁止令」が発令されたことによって肉を食べる文化に一時ストップがかかりました。
その後、「肉食禁止令」が解除され鎖国が終わり第二次世界大戦が終わりとそれぞれの時期を得て日本国内でも食肉として「食べる」文化が再び全国に広まっていった経緯があります。
現在では、肉を食べることに何も抵抗を感じることはないと思います。
逆に肉が好きという人の方が多いのではないでしょうか。
この肉のために飼育して育てる文化は海外から入ってきた文化であり、また現在の食文化の多くも海外から入ってきたものです。
日本は海外からの影響を強く受けてきていることが歴史からも分かります。
食文化の変化もそうですが、このように畜産としての役割も変化してきたというのが畜産の歴史として変化があったことを知って頂ければと思います。
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